
前の職場で、社員食堂のアンケートがありました。「改善してほしい点」という自由記述です。
ほぼ全員が「メニューを増やしてほしい」と書きました。
翌月、メニューが増えました。混雑は悪化しました。
原因は、あとで分かりました。全員が12時ちょうどに来ていたからです。困っていたのは待ち時間で、メニューの数ではなかった。
ただ、「待ち時間が長い」とは誰も書きませんでした。 待つのは当たり前だと思っていたからです。書かれるのは、思いついたことだけです。
先に一行だけ置きます。デザイン思考とは、使う人の観察から出発して、課題を定義し、試作と検証を繰り返しながら解決策を組み立てる進め方のことです。
題材は、鉄道会社のアプリの再設計です。運行状況を見て、乗り換えを調べる。多くの人が毎日使うものです。
前置きはさておき、本題に入ります。
今日は、その再設計で「共感」から始めて、危うく外しかけた話をしていこうと思います。
① 教科書どおりに、まず使う人に聞く

デザイン思考の教科書は、共感から始めろと書いています。そのとおりにしました。
8名を集めて、ワークショップを開きました。
実際に使ってもらい、感じたことを挙げてもらう。素直で、まっとうな進め方です。
そして、共通した指摘が出ました。
「ごちゃごちゃして見える、わかりづらい」
8名の言葉が、きれいに揃いました。
ここまでは、教科書どおりです。
② そのとおりに受け取ると、画面の整理に向かってしまう

言葉が揃うと、確信が生まれます。これが課題だ、と。
そして、次の一手が自動的に決まります。画面を整理しよう。
→ 要素を減らす
→ 余白を取る
→ 色数を絞る
ここで手が止まりました。
社員食堂と同じ形をしていたからです。全員が同じことを言うとき、それはたいてい、いちばん言いやすい言葉です。
「わかりづらい」は、感想であって、原因ではありません。
③ そして、揃った言葉の背後を疑う

なぜ、ごちゃごちゃして見えるのかというと、理由はこうです。
要素が多いからです。では、なぜ多いのかというと、理由はこうです。
機能が整理されていないからでした。
→ 何ができるのかが決まっていない
→ だから画面に全部載る
→ 載るからごちゃごちゃする
画面は結果でした。 結果を整えても、原因が残っていれば同じ画面がまた育ちます。
④ 原因は「聞いて集めたものを、そのまま改善対象にしていた」こと

原因を一つに絞ると、これでした。
感想を、課題として扱っていました。
聞いて集まるのは、言語化できたことだけです。そして言語化できることは、たいてい表層に寄ります。
社員食堂の「メニューを増やして」と同じです。本当の困りごとは、当たり前すぎて言葉にならない。
共感とは、聞くことではありませんでした。
⑤ 直してみる — 機能を先に整理し、姿勢を観察する

やったことは3つです。
1. 画面の前に、ファンクションリストを作った。
どんな機能があり、どれが主で、どれが従か。 これを一覧にしてから、初めてワイヤーフレームに入ります。
順番を逆にすると、見た目だけ整った同じ構造ができあがります。
2. 前の工程で決めたことが、次の工程で必ず使われる形にした。
機能の整理で決めた優先順位が、画面の設計にそのまま効く。工程をまたいで、ロジックが一貫している状態を作りました。
3. 実際に使っている場面を観察した。
ここで、聞いても出なかったことが出ました。
電車内で、端末を横向きに持つ場面があります。
その姿勢では、見え方も認知の負荷も変わります。そこで、進行方向の表現を水平に統一しました。さらに、温度のような情報を絶対値ではなく、自分にとっての相対的な情報として示す形に変えています。
「暑い」と書くか「25度」と書くかの違いです。 動いている車内で必要なのは、前者でした。
運行状況の画面も、単純に減らしませんでした。 情報が多くて読む気にならないという指摘に対して、利用する場面の変化に応じて、運行状況と振替情報を同じ領域に配置し直しました。
減らすのではなく、同時に要るものを同じ場所へ寄せる。
⑥ あとで知った — 「共感」は最初から観察の話だった

素朴な進め方のつもりでしたが、言葉の出どころを読み直すと、書いてあったことでした。
デザイン思考は、1960年代から概念としては存在していました。それを事業と革新の文脈へ持ち込んだのが、IDEOの創業者であるデヴィッド・ケリーです。そしてティム・ブラウンが、2008年6月のハーバード・ビジネス・レビュー誌に「Design Thinking」を発表し、一般のビジネス読者に向けて方法論として定義しました。
そこで挙げられている、デザイン思考の担い手のもっとも際立つ資質が、共感(Empathy)です。
定義はこうです。同僚、顧客、エンドユーザーの視点に、進んで自分を重ねる。そして、そこで得た洞察を使って、望まれる解決策を作る。
「視点に自分を重ねる」であって、「意見を聞く」ではありません。
私は、共感という言葉を「聞くこと」だと読んでいました。 だから8名を集めて質問しました。書いてあったのは、相手の側に立って見ることです。
横向きに持っている手を見るほうが、共感でした。
新しい理屈は、ひとつも要りませんでした。
あとで知った — この食い違いには、名前が付いていた
聞いて出たものと、実際にやっていることがずれる。この現象は、調査の分野では名前で呼ばれています。
セイ・ドゥ・ギャップ(Say-Do Gap) です。言うことと、することの差。経済学の側では、表明選好と顕示選好の食い違いとして扱われてきました。
原因として整理されているのが2件あります。
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- 自分の行動を、本人が正確には把握していない
- 相手が期待していそうな答えに、無意識で寄せる
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8名が同じことを言ったという状況は、この2件が同時に働いた結果として説明がつきます。揃ったのは事実ではなく、答えやすさでした。
対処として2025年以降に整理されている手法も、こちらがやったことと同じ方向でした。モバイル・エスノグラフィと呼ばれるやり方です。
要点は場所と時間です。会議室で、あとから振り返って話してもらうのではなく、その場で、実際の環境で、期間をかけて記録する。 参加者自身が、自宅や店先や移動中に記録を残す日記式の調査が使われます。
「調査を、討議ガイドの中へ抽象化するのではなく、生活の文脈の中に埋め込む」 という言い方がされていました。
そしてもう1件、こちらがやっていなかったことが書かれています。聞いて得たものと、観察して得たものを、捨てずに突き合わせる。 どちらか一方に寄せるのではなく、両方を並べて、食い違った箇所そのものを手がかりにする。 食い違いは邪魔ではなく、いちばん情報量の多い場所でした。
⑦ 何が変わったか

聞いたことの扱いが変わりました。
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前:全員が同じことを言った → 確信して、そこを直す
後:全員が同じことを言った → 言いやすい言葉だと疑い、背後を探す
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言葉が揃うことを、証拠ではなく合図として扱うようになりました。
扱いを変えたあとの数字も置いておきます。8名から出た指摘は14件、そのうち原因に届いていたのは2件でした。残り12件は、2件の結果として起きていたことです。
| 出どころ | 件数 | 原因に届いたもの |
|---|---|---|
| 聞いて出た指摘 | 14件 | 2件 |
| 観察で出た条件 | 3件 | 3件 |
| うち設計を変えたもの | — | 5件 |
⑧ 現場で使うなら、この2枚

表1:聞いて出るもの/観察でしか出ないもの
| 出るもの | 手段 | 扱い |
|---|---|---|
| 感想(わかりづらい、使いにくい) | 聞く | 原因ではない。合図として扱う |
| 過去にやったこと | 聞く | 事実として使える |
| 使うときの姿勢・持ち方 | 観察 | 本人は言語化しない |
| 同時に見ているもの | 観察 | 画面の配置に直結する |
| やめた瞬間 | 観察 | 聞くと理由が後付けされる |
表2:順番(逆にしない)
| 順 | やること | 逆にするとどうなるか |
|---|---|---|
| 1 | 機能の一覧を作る | 見た目だけ整った同じ構造ができる |
| 2 | 主従と優先順位を決める | 全部が主になる |
| 3 | 画面の構造を決める | — |
| 4 | 見た目を整える | — |
1と4を入れ替えたくなったら、それが危険信号です。
表3:観察で見る5点(聞かない)
| 見るもの | 具体 | 何が分かるか |
|---|---|---|
| 姿勢 | 端末を横向きに持つか | 画面の向きの前提が崩れる |
| 片手か両手か | つり革を持っているか | 押せる範囲が変わる |
| 視線の往復 | 画面と外を何回見比べるか | 同時に要る情報が分かる |
| 中断 | どこでやめたか | 離脱の位置 |
| 周囲の音 | 音を出せる場面か | 通知の設計に効く |
5点とも、聞いても答えは返ってきません。 本人が意識していないからです。8名に聞いた14件の指摘の中に、この5点に触れたものは1件もありませんでした。
運用では、次の5件に名前を付けて配りました。名前が付くと、会議の中で指差せるようになります。
1件目、「聞いて出たものは、感想である」。 感想は事実の記録ではなく、その場で作られた説明です。8名に聞いて全員が同じ言葉を返した時点で、これは感想だと判断しました。
2件目、「感想は、全員が同じ言葉に収束する」。 収束は合意ではありません。答えやすい言葉に寄っただけです。揃った日は、掘り直す日にしています。
3件目、「観察は、本人が言わない部分に出る」。 持ち方、置き場所、片手か両手か。1回の観察で、聞き取り8件分より多くの条件が出たことがあります。
4件目、「機能の一覧を先に直し、画面はあとで触る」。 画面から入ると、見た目の整理に向かいます。機能の一覧を直してから画面を触ると、直す箇所が半分以下になりました。
5件目、「言葉が揃った日は、疑う日にする」。 揃ったら前進、ではありません。揃ったら、その言葉の外にあるものを探しにいきます。
この5件は、1枚に印刷して配れる分量に収めています。増やすと、誰も覚えません。
⑨ この考え方が効き続ける理由

道具は、これからも変わります。それでも、聞いて出るものと観察で出るものの差は残ります。 人が自分の行動を正確に説明できない、という性質は変わらないからです。
→ 聞く → 言語化できたことだけ出る
→ 言語化できること → 表層に寄る
→ 表層を直す → 原因が残る
そして、AIを載せた画面でも同じです。 むしろ強くなります。「AIが賢くない」という感想は言いやすく、実際の原因が「そもそもどこで使えるのか分からない」であることは、聞いても出てきません。
ただし、正直に書いておきます。観察は高くつきます。 8名に聞くのは半日で終わりますが、実際に使う場面に立ち会うのは、それでは済みません。
だから、聞くのをやめる必要はありません。 聞いて出た言葉を合図として使い、観察で裏を取る。 その二段構えが、いまのところ現実的だと思っています。
二段構えにしてからの数字も置いておきます。聞いて出た指摘14件のうち、原因に届いていたのは2件。 観察で出た条件は3件で、そのうち3件とも設計の変更につながりました。届く割合は14%と100%です。
もう1件、正直に書いておきます。観察には人数が要りません。 8名を集めた半日より、1名の使う場面に30分立ち会ったほうが、設計の変更につながった件数は多くなりました。人数を集めることと、深く見ることは別の作業です。集める側は準備で消耗し、見る側は待つだけで済みます。
付け加えると、観察の記録はその日のうちに書く必要があります。翌日には、見たことより解釈のほうが濃くなってしまうからです。私は3回それで失敗しました。
関連して、ビジネスモデルキャンバスの9マスを検証する話と、PMFが1→10で死ぬ話を別に書いています。デプスインタビューは場所で答えが変わる話はすでに公開しています。あわせて読むと、同じ判断が別の場所でも効いていることが分かると思います。
この判断を実際の案件で使う場面については、AI時代のUX・UIデザインのページに整理しています。
聞いてみる、といえば、家族に夕飯の希望を聞くと必ず「なんでもいい」と返ってきます。
作ると半分残ります。答えは口ではなく、皿のほうに出ていました。
以上です。