AIが値段をゼロにしたもの。値上がりさせたもの。新規事業の勝ち筋と負け筋

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前後編の後編です。前編では「制約から設計する」経験の希少さを扱いました。ここでは同じ話を、AIの側から裏返します。

「安くなった能力と、高くなった能力。」

不都合な事実から始める

前編で、「創業者の後継者がコンサルやMBAを経て新規事業をやっている会社」という就職先の仮説を出した。

ここで、その仮説にとって都合の悪いところから書く。

AIがいま最速で価値をゼロにしているのは、まさに「MBA的スキル」である。 調査、整理、フレームワークの適用、企画書、分析。これらは全部、抽象度が高く、すでに言語化されていて、教科書があり、型がある。だからこそAIが最も得意な領域でもある。

つまり、この仮説の主役である後継者本人の名目上のスキルセットが、実はいちばんAIに侵食されている。 「コンサル出身」「MBAホルダー」という経歴の看板部分が、いま最も安くなっている、という皮肉がここにはある。

にもかかわらず、このポジションは強い。理由は、残る価値の在り処が、ちょうど逆側にあるからである。


AIが取れないもの=「未テキスト化の一次情報」×「責任を負う決定」

AIが強いのは、テキストになっている情報と、答えが定義できる問題である。逆に言えば、AIが弱いのはその外側にある。

一つ目が、まだ言葉になっていない一次情報。二つ目が、外したときに自分が責任を負う決定。この2つは、いまのところ人間の側に残っている。

そして、アトツギ企業が持っているのは、まさにAIが学習していない情報である。

  • 職人が言語化していない手の感覚
  • 30年分の取引履歴と、そこに書かれていない事情
  • 顧客が電話でこぼす本音
  • 現場の匂い、機械の音、季節ごとの癖

デジタル化されていないことが、そのまま参入障壁になっている。 誰も学習させられないからだ。

AIによって安くなった能力(調査・整理・フレームワーク適用・企画書作成)と、高くなった能力(未テキスト化の一次情報・責任を負う決定)を左右で比較した図。

一次情報は、会議録の外にある

前編で紹介した小さなチーム——訪日客向けの旅前購入代行サービス——の話に戻る。

先日の定例で扱われた論点を、この観点で並べ直すと分かりやすい。

  • ホテルで受け取りを拒否されたらどうするか。 これはどこにも書かれていない。運用してみて、ホテル側の対応を見て、初めて出てくる問題である
  • 受取人が不在だったらどうするか。 同上
  • 中国語は繁体字で実装されている。 想定している利用者が台湾の方だったからで、簡体字ではない。この判断は、ペルソナという一次情報に紐づいている
  • 住所の入力欄に「日本国内のみ」と注意書きを入れる。 実際に運用する側(Yさん)が、入力ミスの起き方を想像できたから出てきた要望である
  • このサービスの提供価値は「安心感」である。 買えるものが買えた、という心理的な安全性。この結論も、機能一覧を眺めていて出てくるものではない

いずれも、検索すれば出てくる知識ではない。現場に立った人間の手元にしかない情報である。

そして、こういう情報を持っている会社に、AIを使える人間が入るとどうなるか。

「独自データ × AI」という、片方だけでは絶対に成立しない組み合わせの結節点に立てる。

AIだけ得意な人は、これからコモディティになる。独自資産だけを持っている会社は、それを使いこなせない。この間に、人材の空白がある。 就職先の選び方としては、この空白を狙うのが筋である。


もうひとつの理由——反復回数

AI時代のスキル形成は、結局のところ「AIに何をやらせて、どこで自分が決めるか」の反復回数で決まる。

この線引きは、知識ではなく感覚である。どこまで任せて良いか、どこから自分が責任を持つべきか。それは何度も判断して、何度か外して、初めて身につく。

決裁者との距離がゼロであることは、この反復回数を桁で変える。 大企業だと、本気の判断機会は年に数回しか回ってこない。

先の会議を、この目で見直してみる。

  • 利用規約はAIで作る。人間は「軽微なチェック」で通す ——どこまで委ねるかの線引きそのもの。規約は「トラブルが起きたときの盾」であり、現時点で損害賠償リスクが高いわけではない、という見立てとセットで決めている
  • 価格は人間が決める。 手数料も配送料も、あえて強気の水準に置いた。安く売って利用者を集めるのではなく、その価格でも成立するかを先に確かめるという設計判断である
  • 繁体字か簡体字か ——ペルソナという一次情報から、人間が決める
  • 返金するかどうかの最終判断 ——人間が持つ

たった1時間の会議で、「AIに広げさせて、人間が削る」という判断が何度も起きている。この密度が、大企業の年数回とは比較にならない。

AIに任せる領域と人間が決める領域を、塗り分けた図。左が広げる作業、右が削る判断。

ただし、積めないものがある——ここが最大のリスク

ここまでは強みの話をしてきた。弱みも同じ精度で書く。

① ラベルが効かない。 「◯◯製作所の新規事業担当」は、転職市場で説明コストが高い。マッキンゼーやGoogleのような、一行で通じる信号を持たない。実力があっても、書類選考の段階でそれが伝わらない。

② 専門性が深まらない。 法務も決済も物流も広告も、全部を薄く触ることになる。前編で並べた60分の会議がまさにそれで、1時間で法務・決済・撤退フロー・価格・言語・UIを通過している。良い経験である一方、何でも屋になるリスクは正面から存在する。

③ 再現性を疑われる。 うまくいっても「オーナーの引きが強かっただけではないか」と見られる。実際、資本と決裁が近いことは有利に働くので、この疑いには一定の根拠がある。


本質的なジレンマ

そして、これが構造上いちばん厄介な点である。

固有性はAI耐性の源泉であると同時に、移転可能性を下げる。同じコインの裏表になっている。

その会社にしかない資産に深く入り込むほど、AIには代替されにくくなる。しかし同時に、外からは見えにくくなり、他社で通用する形に翻訳しにくくなる。強くなる方向と、逃げ道を確保する方向が、逆を向いている。

これは、選び方の工夫では解けない。構造的なトレードオフである。


緩和策は、ひとつしかない

経験を、移転可能な形に言語化し続けること。 これだけである。

具体的には、次を記録に残す。

  1. 決めたこと ——規約はAIで作る/返金を最終手段に置く/LPはマーケ担当が作る
  2. 決めた理由 ——規約は盾であって、現時点のリスクは低いと判断したから
  3. 戻せる決定と、戻せない決定の区別 ——画面の見た目は後から変えられる。決済とユーザーデータのDB構造は変えにくい
  4. 決めなかったこと、後回しにしたこと ——LPは当初MVPに入っていたが外していた/分析データの取得は未実装
  5. 数字と、それで何を検証するつもりだったか ——この価格で成立するかを先に確かめる、という意図

これは特別な作業ではない。議事録を残し、そこから「何が決まって、なぜそう決めたか」を抜き出すだけである。ただし、実際にやっている人は驚くほど少ない。

やらないとどうなるか。5年後に「あの会社を良くした人」で終わって、外に出られなくなる。能力は上がっているのに、それを証明する手段だけがないという状態になる。

逆に、これを最初から習慣にできていれば、固有の経験が、そのまま説明可能な実績になる。ラベルの弱さを、記録の厚さで埋められる。

この記録作業を最初から習慣にできるかどうかが、この賭けの成否を分ける。

同じ経験をした二人が、記録を残したかどうかで5年後に分岐する様子を示した図。

この仮説への反論を、3つ書いておく

自分で出した仮説なので、都合の良い話だけ書くと信用できない。反論も並べる。

反論1:一次情報が価値を持つのは、AIが取り込むまでの話ではないか。
これは相当に強い。センサーが安くなり、音声も画像も文字起こしされ、業務システムが入れば、「未テキスト化」の領域は年々狭くなる。実際、いま暗黙知と呼ばれているものの一部は、5年で普通に構造化されるだろう。ただし、構造化されていく過程そのものに人間が要る。何を記録し、何を捨て、どう意味づけるかを決める作業は残る。とはいえ「一次情報を持っているから安泰」は成立しない、という指摘は正しい。

反論2:後継者本人と合わなかったら終わりではないか。
これも正しい。資本と決裁が同じ場所にあるということは、その一人の判断に事業が強く依存するということでもある。大企業なら部署を移れば済む話が、ここでは移る先がない。この仮説はポジションの構造の話であって、個人の相性のリスクを消すものではない。入る前に、その人と何時間か話しておくこと以外に打ち手がない。

反論3:同じ経験は、小規模なスタートアップの初期メンバーでも積めるのではないか。
制約下の設計と決裁者との距離については、かなり近いものが積める。違うのは2点、「自分の資本で20年の時間軸で決める人」を観察できるかと、撤退の作法を学べるかである。スタートアップは失敗すると解散するので、後者は構造的に積みにくい。逆に言えば、この2つを重視しないなら、スタートアップでも代替できる。

3つとも、仮説を捨てるほどの反論ではない。ただし「どこが弱いか」を分かったうえで選ぶのと、強い部分だけ見て選ぶのとでは、入ってからの動き方が変わる。


まとめ

整理すると、こうなる。

  • AIが値段をゼロにしているのは、調査・整理・フレームワーク適用といった抽象度の高い作業である
  • 逆に値上がりしているのは、未テキスト化の一次情報と、責任を負う決定である
  • アトツギ企業は前者を持っておらず、後者を大量に持っている。だからAIを使える人間が入る余地がある
  • ただし、そこで積む経験は外へ持ち出しにくい。固有性と移転可能性は裏表である
  • 緩和策は言語化の習慣化ひとつだけ。ここを最初から設計できるかで結果が変わる

つまりこの仮説は、「良い会社に入る」話ではない。供給が少ない経験を、意図して取りに行く話である。そして条件が1つ付く——記録を習慣にできるなら。


よくある質問(と私の答え)

Q. コンサルやMBAの経験は、もう無価値ということですか?

市場価格という意味では、下がったと考えています。調査、整理、フレームワークの適用は、抽象度が高くてすでに言語化されていて、だからこそAIがいちばん安く再現できる領域だからです。ただし能力そのもの(構造化されていない状況を、他人が判断できる形に整理する力)は有効で、向ける先を「すでに言葉になっているもの」から「まだ誰も言葉にしていないもの」に変えると機能します。安くなったのは看板であって、能力ではありません。

Q. 「AIを使いこなせること」と「独自データを持っていること」は、同じ強みですか?

全く別物です。共有しているのは「AI時代の強み」という括りだけで、性質はむしろ逆を向いています。前者は誰でも数ヶ月で追いつける、時間が経つほど安くなる能力。後者は現場に立った人間の手元にしかない、複製できない資産です。この混同がいちばん危険で、混ざると「AIを活用できる人材になろう」という、一番つまらない結論に着地します。狙うのは片方ではなく、両方が重なる場所です。

Q. 記録を習慣にするとして、何から書けばいいですか?

決定ログからです。その日、何を選んで、何を却下したかを、理由つきで残す。スキルや強みを先に書こうとすると、必ず自己PRになります。「事業推進力」みたいなものが出てきて、転職市場で何の役にも立ちません。特に効くのは「戻せる決定か、戻せない決定か」の区別です。選択と却下という事実を先に貯めて、意味づけは後からでいい。この順序を逆にすると、たぶん失敗します。


(前編:「いま就職するなら、どこか。——『制約から設計する』経験が、いちばん供給されていない」)

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