
家電量販店で、タッチパネル式の案内端末をよく見かけます。
一度も触っている人を見たことがありません。 すぐ横に店員さんが立っていて、聞いた方が速いからです。
あの端末を導入した人は、真面目に検討したはずです。要件を整理して、比較表を作って、稟議を通した。それでも誰も触らない。
その「誰も触らない」がなぜ起きるのかを、アパレル店舗を題材に話をしていこうと思います。
まず、どんな店かを渡しておきます。都市部に20店舗ほど持つ、レディースのアパレルチェーンです。単価は1万円台。試着してから買う客がほとんどで、試着した客の購入率は、試着しなかった客の数倍あります。
つまりこの業態では、試着室に入ってもらえるかどうかが、そのまま売上を決めます。
そして課題も、はっきりしています。土日の試着室が混む。 待ち行列ができて、待ちきれない客が帰ってしまう。長い待ち時間を告げた時点で帰る客がいる、という話は、売場でよく聞きます。
待ち行列を減らせれば、売上が増える。 誰が考えてもそうなります。
店舗DXとは、店舗の業務や購買体験をデジタルで作り変える取り組みです。セルフレジ、電子棚札、在庫の可視化、接客支援。リテールテックも、ほぼ同じ文脈で使われる言葉ですが、こちらは技術そのものを指すことが多く、店舗DXは「既存店舗の業務をデジタルに置き換える」という含意が強い言葉です。
前置きはさておき、本題に入ります。
① 教科書どおりに、店舗DXを入れる

課題は「試着室の待ち行列」と特定できています。そこで、試着予約アプリを入れました。
→ 店頭のQRコードを読むと、試着の順番を予約できる
→ 順番が近づくとスマートフォンに通知が届く
→ 待っているあいだ、店内を自由に見て回れる
課題に対して、素直な解です。要件も明確で、開発も数ヶ月で終わりました。土日の試着室の前に、QRコードのポップを立てて運用を開始します。
② ほとんど使われない

1ヶ月後、利用状況を確認しました。
予約から入った試着は、ごくわずかでした。 待ち行列は、以前とほぼ同じ長さで発生しています。
理由は単純でした。列に並んでいる客に、その場でQRを読ませるのが難しい。 売場では、よく言われることです。
考えてみれば当たり前です。試着室の前に来た時点で、その客はもう試着すると決めています。 決めた人に「アプリで予約してください」と言うのは、手間を増やしているだけです。
QRコードを、決断が終わった場所に置いていました。
③ 売場に立って、時間を測ってみた

そこで、実際に売場に立って観察しました。客が入店してから、試着室に並ぶまでを目で追います。
分かったのは、時間の使われ方でした。
| 行動 | かかっている時間 |
|---|---|
| 入店 → 最初に商品を手に取るまで | 短い |
| 手に取る → 試着すると決めるまで | 長い |
| 試着室に並ぶ → 入室 | いちばん長い(土日) |
| 試着 → 購入するか決めるまで | 短い |
いちばん長いのは、試着室の待ちです。 ただし、それは既知でした。
気づいたのは、その手前でした。
客は、商品を手に取ってから試着を決めるまで、その場でしばらく止まっています。そのあいだ、ほとんどの客は一人です。 店員は他の接客に入っているか、レジにいる。
そして、この止まっている時間に何をしているかを見ると、こうでした。
→ サイズを探している(棚を見て、無ければ諦める)
→ 色違いを探している(別の棚まで歩く)
→ 手持ちの服と合うか考えている(鏡の前で当てる)
→ 値段を見て、迷っている
どれも、聞けばひと言で解決する問いです。 サイズの在庫、色違いの場所、似た商品との比較。店員がいれば終わる。いないから、その時間が伸びている。
④ 置き場所を変えてみた

QRコードを、試着室の前から売場の各棚へ移しました。そして機能を変えました。
→ 予約だけでなく、「このサイズはありますか」「色違いはどこですか」に答える
→ 答えられないときは、近くの店員に通知が飛ぶ
→ 試着を決めた客には、その場から予約できる導線を出す
同じアプリです。置き場所と、担当する時間帯を変えただけです。
結果、予約の利用率が上がりました。理由は明確で、決断の途中にいる客に届いたからです。
→ 旧:決めた人に、手間を増やす提案をしていた
→ 新:迷っている人に、迷いを短くする答えを渡している
待ち行列は、そもそも並ぶ人が減ることで短くなりました。 試着すると決めるまでの時間が短くなったぶん、混雑の山が分散したからです。
⑤ あとで知った — これには名前と、数字があった

素朴な発見のつもりでしたが、調べると確立した手法でした。
クライアンテリング(clienteling)と呼ばれます。定義がこうです。「販売員が、顧客の好み・行動・購買履歴のデータをもとに、主要な顧客と長期的な関係を築いていく手法」。
そして、アシステッドセリング(assisted selling)。「販売員が商品について有益な助言をし、顧客の質問に答えることで購買を促す小売戦略」。
迷っている時間に伴走する、という整理には、すでに名前が付いていました。
さらに、効果の数字も報告されています。あるアパレル小売では、クライアンテリング経由の取引が店舗売上の11%を占め、その平均単価は通常の店舗取引より14.5%高いという実績が出ています。
単価が上がるのが重要です。 迷っている時間に伴走すると、客は「買うかどうか」だけでなく「どれを買うか」の答えも得るからです。
そして、顧客の行動についても、そのまま書かれているものがありました。
「顧客は、決めるのにもっと時間が必要なことがある。選択肢を比較したい、希望のサイズが入荷するのを待ちたい、あるいは購入を完了せずに店を出る」。
止まっている時間の正体が、これです。 そして高額・高関与の商品ほど、この時間は長くなる。だから、その時間に誰かがいるかどうかが売上を分ける。
ただし正直に書いておくと、これらは店員の接客を強化する文脈で語られているもので、アプリで代替する話ではありません。人がやるべきことを機械に置き換える提案ではなく、人が手が回らない時間帯を埋める提案として読むべきです。
新しい理屈は、ひとつも要りませんでした。
⑥ 小売にAIを入れるなら、どこか

ここまでを踏まえると、置き場所はかなり絞れます。
向いていないところ
→ 在庫最適化・需要予測 — 従来型の機械学習のほうが精度も説明性も上です
→ レジ・決済の自動化 — 確定した処理なので、言語モデルは要りません
→ 売上分析のレポート生成 — できますが、それは店舗DXではなく事務作業の効率化です
需要予測については、もう決着がついています。2020年に、世界最大の小売チェーンの実売データを使った予測コンペが開かれました。対象は42,840本の時系列です。上位50チームは、全員が勾配ブースティング決定木という、言語モデルとは別系統の手法を使っていました。統計的な手法も、それらを組み合わせた手法も、すべて下回っています。表になっている数字を当てにいく仕事は、表を読む道具が勝ちます。
向いているところ
→ 迷っている時間の伴走 — 曖昧な質問に答え、比較を整理し、ためらいの理由を特定する
→ 店員が手を離せない時間帯の代替 — ピーク時、閉店間際、人員が薄い平日
→ 接客の記録 — 誰が何を迷ったかを残し、次の来店で使う
3つ目が、クライアンテリングの本体です。 そして、これは人手では規模が出ませんでした。顧客ごとの文脈を全員分覚えていられる店員は、いないからです。
人が安定して関係を保てる相手は150人ほどだ、という説があります。1992年に、霊長類の脳の大きさと群れの大きさの関係から出てきた数です。その後の再検証では推定値が割れていて、確定した値ではありません。ただ、桁までは動きません。都市部に20店舗を持つチェーンに来る客の数は、その桁ではないという一点だけが効きます。
ただし、入れる前に確認すること
人手の天井に当たっていない売場に入れても、効果は出ません。
→ いま、聞きたいのに聞けていない客がいるか
→ いるなら、それは何時ごろ、どの売場か
→ その時間帯に、人を増やすほうが安くないか
3つ目まで検討して、それでも人を増やすほうが高いなら、AIを入れる理由が立ちます。 ここを飛ばして導入すると、冒頭の案内端末になります。
天井に当たっているかどうかを、業界の空気で決めないでください。人手不足を扱った企業調査はいくつもあって、百貨店やコンビニを含む各種商品小売でも、食品スーパーなどの飲食料品小売でも、正社員が足りないと答える企業は少なくありません。ただ、この手の数字が言えるのは業界の話までです。自分の店の土日の売場で、迷っている客の横に人が立っていないかどうかは、そこには書かれていません。
⑦ 現場で使うなら、このシート

導入を検討する前に、この2枚を埋めてください。
表1:売場の滞留時間(実測)
| 行動 | 所要時間 | その時間、人が横にいるか |
|---|---|---|
| 入店 → 手に取る | ||
| 手に取る → 買うと決める | ここが本丸 | |
| 決める → 会計 | ||
| 会計 → 退店 |
測り方は、売場に立って記録するしかありません。 POSデータには、この時間は残っていません。
そして右の列が判定になります。 迷っている時間に人がいないなら、そこが入れる場所です。人がいるなら、入れても触られません。
表2:導入判定
| 判定項目 | 該当するか | 判定 |
|---|---|---|
| 迷う時間が5分以上ある | 該当しなければ入れない | |
| その時間帯に人手が足りていない | 該当しなければ人を増やす方が安い | |
| 聞かれる内容が定型的(在庫・サイズ・比較) | 該当しなければ人でないと無理 | |
| 答えられないとき、人に渡せる | 必須。渡せないなら作らない |
最終行が必須条件です。 答えられないまま推測で答えると、事故になります。判断がつかないときに人へ渡す経路を、機能より先に作ってください。
⑧ この考え方が効き続ける理由

リテールテックという言葉は、技術の側から名付けられています。だから議論も技術の側から始まりがちです。何を導入するか、どのベンダーを選ぶか、費用はいくらか。
でも、小売で売上を動かしているのは、ほとんどの場合「接点の配置」です。
→ どこに置くか
→ 誰が近くにいるか
→ 決めるまでに何分かけられるか
→ 迷ったときに聞ける相手がいるか
これは技術以前の設計で、技術はその配置を強化するために入ります。
同じアプリが、置き場所を変えるだけで使われるようになる。この事実は、逆に言えば技術で埋められる差より、配置で生まれる差のほうが大きいということです。
そして配置の話は、技術が変わっても変わりません。
米国の食品小売に、1965年から重ねられてきた買い物調査があります。2012年の回では、買うものの76%が店内で決まっていました。 それまでの回で最も高い値です。ネット通販が広がったあとに、店内で決まる割合は下がるどころか上がっていました。ただし、この調査は同じ形では続いていません。実施していた団体が別の団体と統合され、そこで途切れています。
日本の数字も、同じ方向を向いています。物販でネット経由が占める割合は、直近の政府調査で9.78%でした。10%に届いていません。 残りの9割は、いまも店で買われています。
迷う時間の長さは、モデルが賢くなっても短くならない。測っておけば、次の技術が来たときにも同じ表が使えます。
だから店舗DXの最初の一手は、ツールの比較ではありません。店の中で、顧客がどこで何分迷っているかを、実際に立って数えることです。
技術を入れるのは、その次でいい。
冒頭の案内端末ですが、あれ、店員がいない時間帯だけ稼働させたら使われるのではないかと、たまに思います。
夜間の無人フロアとか。ただ、それだと日中は完全にただの箱です。ただの箱に見えないように、日中は何か映しておく必要がある。 そうやって、誰も見ないデジタルサイネージが生まれるのだと思います。
以上です。