
部屋を片付けるとき、いつも床から始めます。床が目に見えて広くなるので、進んだ感じがするからです。
ところが、床に出ていたものには、たいてい戻す場所がありません。引き出しの中がもう埋まっているからです。行き場を失ったものは、とりあえず机の上に積み上がります。
半日かけて、床が机になっただけ、ということが何度かありました。(僕はADHD(注意欠如・多動症)なので、片付けるのが人よりとても苦手で頭のなかが真っ白になります…。)
AIを導入する会社が増えてきました。僕の会社では、導入先の業務を選ぶときに、この片付けと同じ失敗をしました。ここでいうAIエージェントとは、人に代わって業務の一部を進めるAIの仕組みです。ただ、入れさえすれば効くわけではなく、どの業務にAIエージェントを導入するかで結果がはっきり分かれます。同じ予算をかけても、半年後に残っているものと、誰も使わなくなるものに割れます。
僕も、AIエージェントを導入する業務の選び方を外しました。いちばん目立つ業務を選び、6か月かけて作ったものを、まるごと捨てています。
先に一行だけ置きます。AIエージェントは、いちばん目立つ業務に導入すると失敗します。 目立つ業務は、すでに人が回していて、例外が多いからです。
今回話すプロジェクトでは、入居者向けアプリの、問い合わせ対応にAIを入れた話です。
大企業と僕の会社の共創事業(企業同士で新しい事業を一緒に作る取り組み)として、単身者向けの賃貸物件を管理する会社の、入居者向けアプリを立ち上げました。MVP(最小限の機能だけを先に作って現場に出す開発方法)で進めました。その管理会社が預かっている部屋は800戸ほど。住んでいるのは学生と単身赴任の方が中心です。
入居者からの連絡は、内容がばらけます。「エアコンが効かないので見てほしい」「更新の書類はいつ届くのか」「上の階の足音が夜うるさい」。設備の話と、契約の話と、近隣の話が、1通の中に混ざって届きます。
この連絡を受けていたのは、管理会社の担当者2名です。届くのは1日に数十件、繁忙期はその倍。決まった文面で返せるものが多いのに、2名は毎回ゼロから返事を書いていました。
だから、この問い合わせ対応にAIを導入することにしました。作ったのは、入居者がアプリから送ってきた連絡に、AIがその場で返事を書く画面です。担当者を通さず、入居者の画面に直接答えが出ます。
この問い合わせ対応は、いちばん目立つ業務で、いちばん喜ばれるはずでした。
今日は、その選び方がなぜ外れたのか、という話をしていこうと思います。
前置きはさておき、本題に入ります。
① 教科書どおりに、入居者と話す画面にAIを導入した

どの業務にAIを導入するかは、素直に教科書どおりに決めました。
教科書に載っている、AIを導入する先の選び方は3つあります。手間が減ったと数字で言えるところ。お客さんが直接触るところ。毎日必ず発生していて、止まると誰かが困るところ。この3つで絞ると、候補は入居者アプリのやり取り画面しか残りませんでした。管理会社の担当者2名に聞いても同じで、「まず問い合わせですよね」と即答されています。
その画面が最初に動いたのは、作りはじめてから3週間後です。
試しに「エアコンが効かない」と打ってみます。返ってきたのは、「設置から8年経っているので、まずフィルターの状態を確認させてください。修理の手配を依頼しますか」という文面と、その下に押せるボタンが1つ。押すと、管理会社の担当者が見る一覧に、修理の申請が1件並びます。
動いた画面を担当者2名に見せたときの反応は、いま思うと少し出来すぎでした。1人は「これ、いつから使えますか」と聞いてきています。もう1人は、自分の受け持ちの物件でよく来る質問を、その場で3件打ち込んで試していました。3件とも、それらしい答えが返っています。
教科書が間違っていたわけではありません。 この段階では、失敗した感覚はまったくありませんでした。
② 半年後、書いていたのはAIではなく、画面とデータのつなぎ込みだった

ところが、入居者と話す画面を作り込んでいるうちに、様子がおかしくなってきました。
画面が動きはじめてからの数か月、僕がやっていたのは2種類の作業だけでした。AIの答えを画面にどう並べるかの調整と、入居者との過去のやり取りをどう保存するかの検討です。AIに情報を送る処理そのものは、最初の数日で書き終わっていました。
ここでいうデータのつなぎ込みとは、別々のシステムから必要な情報を取り込めるようにする作業です。作業が画面とデータの側に寄る理由は、入居者に答えるために何が要るかを並べると分かります。「エアコンが効かない」に答えるには、その部屋の設備がいつ入ったか、前回いつ直したか、いま業者がどこまで空いているかが要ります。「更新の書類は」に答えるには、契約の更新日と、その物件のオーナーの意向が要ります。
AIは、賢いだけでは一言も答えられません。 手元にデータが無いからです。
半年で書いたプログラムを、コード(プログラムを動かすために書いた命令文)の行数で数え直しました。
| 何を書いていたか | 量 |
|---|---|
| 入居者と話す画面 | 603行 |
| 外のシステムへデータを取りに行く処理(全部ぶん) | 173行 |
入居者と話す画面のほうが、3倍以上あります。その173行がつなぎに行く先は5つあって、AIはそのうちの1つでした。残りの4つは、空室と契約の状況、修繕の履歴、更新日、退去時の精算規定を持っているシステムです。
つまり、半年のほとんどを、AIではなく、画面づくりとデータのつなぎ込みに使っていたことになります。
③ 気づいたのは、画面に残った後始末の処理を見たときでした

行数の差だけなら、まだ「そういうものか」で済んだかもしれません。
引っかかったのは、画面のコードに残っていた後始末の処理です。画面が最初に出すあいさつ文まで、入居者とのやり取りとして保存してしまい、表示のときにだけ除外する、という処理が入っていました。保存してしまったぶんは、もう取り除けません。だから、表示のたびに除外し続けるしかありませんでした。
後始末の処理は、もう1件ありました。古いやり取りから続きを始めようとすると、AIが以前の状況を思い出せません。仕方がないので、古いやり取りを開いたときは「新しく始めてください」と案内する分岐(条件に応じて処理を変える仕組み)を足していました。
この2つの後始末は、どちらもAIの賢さとは関係のない話です。データの持ち方を先に決めなかったから出た穴でした。
この2件を直している時間のほうが、AIの答えを良くする時間より長くなっていました。ここで初めて、選んだ場所が悪かったのではないか、と思いはじめました。
④ 原因を1件に絞る

AIを導入する業務の選び方を外した理由として、思い当たることはいくつもあります。設計が甘かったこと、作る順番を間違えたこと、担当者を巻き込むのが遅かったこと。
ただ、原因を絞ると1件でした。
いちばん目立つ業務にAIを導入したこと。
目立つ業務は、すでに人が回している業務です。回っているなら、例外の処理は人の頭の中に溜まっています。「この物件のオーナーのときだけ言い方を変える」「長く住んでいる方には、対応できる日を先に書く」。そういうものが、明文化されないまま動いています。
その業務にAIを導入すると、AIを賢くする前に、溜まった例外を全部コードに書き出す作業が発生します。画面のほうに603行も要ったのは、そのぶんでした。
⑤ 直したのは1箇所だけ

やったことは、AIを導入する場所を入居者の目に触れない側へ動かすことだけです。
入居者に答えるのをやめて、届いた連絡を仕分けて、担当者向けに要点を3行にまとめるところに移しました。設備の話か、契約の話か、近隣の話か。混ざっている場合はどれが主か。それだけです。
入居者に答えるのは、これまでどおり人がやります。
移した先で書いたコードは、192行で収まりました。画面はありません。担当者は、いつも見ている受信箱を開くだけです。
⑥ あとで知った ── 呼び分けに名前がありました

しばらくして、対話AI(文章でやり取りできるAI)のClaudeを作っている Anthropic が出した、エージェント設計の文書を読み、手が止まりました。
そこでは、AIに仕事をさせる作りが、2つに呼び分けられていました。手順があらかじめ決まっていて、その道筋をコードで並べたものは「ワークフロー」。AIが自分で次の一手を決め、道具の使い方まで自分で選ぶものが「エージェント」。
エージェントが向くのは、何手かかるか読めない問題だと書かれています。原文は「open-ended problems where it’s difficult or impossible to predict the required number of steps」です。
問い合わせの仕分けは、何手かかるか読めない問題ではありませんでした。読んで、分けて、まとめる。手数は最初から決まっています。
さらに、いちばん簡単なやり方をまず探し、必要になったときだけ複雑にしていく、とも書いてありました。原文は「finding the simplest solution possible, and only increasing complexity when needed」です。その先には、エージェントを作らないという結論もありうる、とはっきり書いてあります。原文は「This might mean not building agentic systems at all」。
Anthropicの文書を読みながら、最初に選んだ入居者と話す画面のことを考えていました。入居者への問い合わせ対応も、返事を書くまでの手数は決まっています。それなのに、AIが自分で考えて答える形で作っていました。どの業務を選ぶかを外すと、その業務に合わない作り方を選ぶところまで、まとめて外します。
新しい理屈は、ひとつも要りませんでした。
⑦ 変えてみて、何が良くなって、何を失ったか

AIを導入する場所を移してから、担当者の手元で変わったことがあります。
1件あたりの返信にかかる時間が、短くなりました。読む前に要点が3行ある状態と、ゼロから読む状態は、別物です。担当者2名のうち1名は、まとめた3行だけを見て、返信は最初から自分の言葉で書いています。 それでも、その担当者が1件に使う時間は減っています。
ただ、代償があります。3件書いておきます。
1件目。「AIを導入した」と言いづらくなりました。 画面がないので、見せられるものがありません。役員に説明するときに、実物を出せないのは地味に効きます。
2件目。間違いに気づきにくくなりました。 入居者に直接出していれば、変な答えはすぐ苦情になります。裏で仕分けているだけだと、間違った分類が静かに混ざります。だから月に一度、分類の結果を人が抜き取って見る手順を足しました。
3件目。元の画面を捨てました。 603行のうち、使い回せたのはシステム間の通信処理だけです。半年ぶんの手を、ほぼそのまま捨てています。先に、入居者に答える業務ではなく、届いた連絡を仕分ける業務から始めていれば、払わずに済んだ代償でした。
⑧ 現場で選ぶなら、この3つの問い

どの業務にAIを導入するかを決めるとき、この共創事業で使っている問いはこれだけです。
| 問い | はい | いいえ |
|---|---|---|
| 手数が読めるか(何段階で終わるか言えるか) | AIに任せず、手順をコードで並べる | エージェントの出番 |
| 人が既に回しているか | 後回し。例外が頭の中にある | 先にAIを導入してよい |
| 間違えたら誰かに届くか | 人を残す | 任せてよい |
3つのうち、いちばん効くのは真ん中です。人が既に回している業務にAIを導入すると、例外を書き出す作業が必ず先に来ます。 その作業量は、AIを導入する前には見えません。
逆に、誰もやっていない業務は狙い目です。届いた連絡の仕分けは、それまで誰もやっていませんでした。担当者は全部読んでから判断していたので、「読む前に分ける」という工程はそもそも存在しませんでした。存在しない工程には、溜まった例外もありません。
この見方は、扱っているものには依存しません。部屋でも、部品でも、予約でも同じです。
⑨ この選び方が効き続ける理由

AIモデル(回答や判断の土台となる仕組み)が賢くなっても、まだ誰もやっていない工程から先にAIを導入する順番は変わらないと考えています。
賢さで解けるのは、判断の部分だけだからです。例外がどこにあるかを聞き出す作業も、データの持ち方を決める作業も、賢さでは短くなりません。担当者2名の頭の中にあったものは、人から出すしかありませんでした。
一方で、誰もやっていなかった工程には、頭の中に例外を溜めている人がいません。だから、賢くなるほど先に効くのは「まだ誰もやっていない工程」のほうになります。
AIを導入する業務と作り方の設計を、実際の業務に当てはめる話は、AIエージェント開発のページに整理しています。どこからAIを導入するか決めかねている工程があれば、こちらからご相談ください。
部屋のほうは、いまも床から始めています。引き出しを先にやるべきだとは分かっているのですが、床のほうが、進んだ感じがするので。
以上です。
▶ この記事のテーマを実務で相談する: AIエージェント開発