まず自己紹介をすると、僕は株式会社ARCHECOという小さなコンサルファームの創業者です。
キャリアとしては、大手の家電メーカーにエンジニアとして就職して、独立系コンサルファームを経て、コンサルファームを設立して12年くらい経営しています。
UXデザインに長く携わってきたので、ペルソナ設計の過程は死ぬほど見てきました。名前を付けて、顔写真を貼って、年齢と職業と年収と休日の過ごし方を書いて、会議室の壁に貼る。あれを何十枚も作っている人たちを傍観してきた側の人間です。
そして今、その全部に意味がなかったと思っています。
今日は、ペルソナ設計をやめた話と、やめた上でその能力を真逆の方向に使ったら効いてしまった話をしていこうと思います。
先に結論を言い切ってしまうと、この2つは「ペルソナ」という同じ単語を使うせいで対称に見えますが、全く別物です。 方向が逆を向いています。ここが見えないと、後半は全部ただの言葉遊びに聞こえるので、そこだけ丁寧に説明させてください。
まず、ペルソナに意味はない

身も蓋もないことを言います。
ペルソナというのは、ターゲットユーザの解像度を上げる作業に、大層な名前をつけたものです。それ以上でも以下でもありません。
やっていることは「客のことをよく考える」で、それを構造化して人型にしただけです。もちろん構造化には価値があります。ただ、あの分厚い方法論と、あの神聖な扱いに見合うほどのことかというと、正直そこまでではない。
で、これは方法論が悪いのではなくて、前提が崩れたという話です。
ペルソナ設計は、次の前提の上に立っていました。
→ システムや新規事業を生み出すのは高い。時間も金もかかる。
→ だから生み出す前に、外さない確率を上げておく必要がある。
→ そのために、解像度を上げる。
この順序は、当時は完全に正しかった。作るのに3ヶ月かかるなら、外す確率を下げる2週間は安い投資です。
ところが今、この前提が壊れました。
解像度を上げる会議をしている間に、3案作って世に出せます。
そうなると、順序そのものが逆になります。当てにいくのではなく、当たるまで出す方が速い。しかも出した結果は仮説ではなく事実なので、精度も比較になりません。
ここが滑稽なところで、半年かけてペルソナを精緻化して、レビューを重ねて、ようやく「この人はこういう時にこう感じるはずだ」という仮説に辿り着いた頃には、作って出した会社はとっくに答えを持っています。
それでも、ペルソナ設計という「能力」は残る

ただ、ここで話を終わらせると、ただのペルソナ不要論です。それはもう世の中に山ほどあります。
捨てるべきなのは成果物であって、能力ではないと思っています。
ペルソナ設計とは、結局のところ何をする能力だったのか。分解すると、こうなります。
→ ある人間が、どういう場面で、何を選び、何を選ばないかを見抜く。
→ それを、その人でない誰かが再現できる形に書き下す。
これは実はかなり難しい技術です。そして、UX業界はこの技術を数十年かけて磨いてきました。
にもかかわらず、この能力はずっと形骸化していました。理由は単純で、書き下したものを誰も再現しなかったからです。壁に貼られて、会議で参照されて、それで終わる。グラフィックレコーディングとかに至っては、会議室に貼られた見た目に重点が入ってしまった際たる例だと思っています。
作る技術だけが高度化して、使われ方が伴っていなかった。
で、ここで一つ気づいたことがあります。
再現する相手は、人間である必要がない。
ここで、方向が反転する

ここが今日の本題で、一番誤解されやすいところです。
僕がやったのは、AIに仕事をさせるために、人間がAI用のペルソナを作るということです。
字面だけ見ると、従来のペルソナ設計と地続きに見えます。「ペルソナをAI時代にアップデートした」みたいな話に聞こえる。
違います。そして違いは、対象がどうとか目的がどうとかいう話の前に、もっと根本的なところに1つだけあります。
正解を持っているのが、誰かということです。
ペルソナは、正解を持っていない人が作っている
ペルソナを作るとき、正解は顧客の頭の中にあります。自分の中にはありません。
これは決定的です。何を書いても、それが合っているかどうかを確かめる術が、原理的に無いということだからです。
答え合わせができない。
では、答え合わせができない作業は、どこへ向かうか。
形式に向かいます。
中身の正しさを競えないので、形の整い方を競うことになる。名前をつけ、顔写真を貼り、年齢と職業と年収の欄を埋め、フォーマットを揃え、レビューで粒度を指摘し合う。
あれは正解に近づく作業ではありません。正解っぽく見せる作業です。
ペルソナの方法論があれほど分厚くなった理由も、たぶんこれです。そこしか磨けるところが無かった。 中身が正しいかを確かめられない以上、進歩の方向は形式しか残らない。
改めて言葉にすると、なかなかの光景だと思います。正解を知らない人間が、正解っぽく見える形式を磨いている。 しかも磨いた結果が当たっていたかどうかは、最後まで誰にも分かりません。
人格のコピーは、正解を自分が持っている
ここが真逆です。
自分の人格をAIに複製させるとき、正解は自分の中にあります。
出てきた文章を読んで、「違う、僕ならこうは書かない」と即座に言えます。 根拠を探す必要も、調査を挟む必要もありません。自分が答えだからです。
つまり、出力のたびに答え合わせができる。
そしてここが効いてくるのですが、答え合わせができるなら、形式は要らなくなります。 体裁を整えて正しそうに見せる必要がない。中身が違えば、一発で分かってしまうので。
同じ「人物を書き下す」という作業なのに、片方は永久に検証されず、片方は毎回検証される。この差は熱心さや技術力の差ではなく、正解を自分が持っているかどうかという、それだけの違いから出ています。
他の違いは、全部ここから派生する
根本が1つ決まると、残りは自動的に決まります。
| 従来のペルソナ | 僕が作ったもの | |
|---|---|---|
| 正解の所在 | 顧客の頭の中(持っていない) | 自分の中(持っている) |
| 検証 | できない | 毎回できる |
| 磨く対象 | 形式 | 中身 |
| 対象 | 消費者 | 生産者(自分たち) |
| 目的 | 理解する | 実行させる |
| 読み手 | 人間 | AI |
そして、AIの使われ方まで逆です。
→ 従来の延長線上にあるのは、人間のペルソナを作るためにAIを使う方向。AIにユーザー役をやらせてインタビューする、というやつです。
→ 僕らがやったのは、AIを使うために、人間がAIのペルソナを作る方向です。
この2つが対称に見えるのは、「ペルソナ」という単語を共有しているからにすぎません。 正解の所在も、対象も、目的も、読み手も、矢印の向きも全部逆です。同じ言葉が使えてしまうせいで、同じ話の変奏だと思ってしまう。ここは意識して切り分けないと、絶対に混ざります。
そして面白いのは、この2つが同じ変化の裏表だということです。
前者が割に合わなくなった理由は「作る方が速くなったから」。後者が可能になった理由は「AIが作れるようになったから」。同じ一つの変化が、片方を殺して、片方を生んでいます。
だから僕は、ペルソナ設計という能力を捨てるのではなく、正解を持っている方に向け直したわけです。消費者ではなく生産者に。理解のためではなく、実行のために。
十数年、正解の無い場所で形式を磨いていた技術を、正解のある場所に持ってきた。ただそれだけのことなのですが、持ってきた瞬間に、この技術は初めて当たったか外れたかが分かるものになりました。
じゃあ、実際にどう作るか

ここからは実装の話です。うちのAIエージェント基盤で実際に動いているものを、そのまま出します。
構成は2層です。
1層目は「決定ログ」です。追記専用のJSONL(1行1レコードのファイル)に、判断が起きるたびに1件ずつ積みます。持っている項目はこれだけです。
→ context(どういうトレードオフの場面だったか)
→ chose(何を選んだか)
→ rejected(何を却下したか)
→ source(誰の判断か)
肝は rejected を必ず残すことです。人格は、選んだものよりも捨てたものの方に出ます。何を良しとするかは誰でも似たようなことを言いますが、何を却下するかは驚くほど人によって違う。
実際に入っている1件目はこれです。
context: 無限ループでゴールを超えて育ち続けるか、空転の無駄を止めるかのトレードオフ
chose: 多少の無駄より育ち続けることを優先
rejected: 空転停止で無駄を防ぐ現状維持
2層目が「哲学モデル」です。決定ログが溜まったら、LLMに蒸留させて、一般化できる選好だけを抜き出します。見出しは6つです。
価値観/判断の傾向/トレードオフの好み/美意識/却下パターン/意思決定の原則。
ここで大事なのが、各項目に必ず根拠を併記することです。実物はこうなっています。
大きな変更は必ずPhase/段階に分け、各段階が単体で成立する形で小さく進める
(根拠: 段階分割234件で最多。i18n・テンプレ配信など大機能を必ず段階化)
「小さく進めるのが好き」と書くだけなら、誰でも書けます。それは自己申告です。234件という実際の行動の集計が付いているから、仕様として機能します。
そしてこのファイルはプロジェクトごとに作りません。 ユーザー横断で1つです。判断の癖は題材を越えるので、案件ごとに人格を分けると、ただの案件メモになります。
更新経路を、意図的に人間側に絞る
ここが設計上、一番悩んだところです。
自律ループを回していると、AI自身が「こういう方針で行くべきだ」と判断する場面が大量に出ます。それも決定ログに入れたくなる。効率が良さそうに見えるからです。
やめました。というより、構造的に不可能にしました。
哲学モデルを更新できる経路は2つだけです。人間との較正対話と、決定ログの非同期折込み。自律ループはこのファイルを読むだけで、推測で書き換えることはできません。
さらに、蒸留の対象からAI自身の自律判断の記録(vision-expand-auto)を除外しています。これを入れると、AIが自分の判断記録を「ユーザーの選好」として学習し、自分で自分を強化するループが回ります。1周目は微妙なズレでも、10周目には別人になる。
自己申告を人格の材料にしない、というだけの話ですが、これを運用ルールではなくコード側の除外条件として書いておかないと、たぶん半年後に誰かが良かれと思って入れます。
結果はどうだったか
やらせたのは記事の執筆です。哲学モデルと文体仕様を注入して書かせ、セッションを分けた別のAIに品質を判定させました。判定側は「自分が書いた」という文脈を持っていないので、遠慮なく差し戻してきます。
再現できたものは、こうです。
→ 記事の構成の型。自己紹介から入って自虐を挟み、テーマに入り、余談で脱線して素っ気なく終わる。完全に再現されました。
→ 判断の癖。「ここは断定して切る」「ここは自分の失敗を先に出す」という選択が、指示なしで一致します。
→ 僕が作りそうな造語まで作ってきました。このシリーズで使っている「AI PoC葬」という言葉はAIが出してきたもので、悔しかったので採用しました。
正直、下手をすると僕より僕らしく書きます。
そして再現できなかったものが、はっきり1つありました。品質ゲートの差し戻し文言をそのまま出します。
抽象的な要約に留まっていて、その場の空気や登場人物のやりとりが書けていない。
これは当然で、AIはその会話の場にいなかったからです。会議室のスライドの文言も、偉い方々の頷き方も、閉会のときのあの清々しい空気も、現場にいた人間の記憶の中にしかありません。
再現できたものは全部、仕様書に書いてありました。再現できなかったものは、書いていませんでした。 境界はAIの能力ではなく、文書の側にありました。
それで、こういう課題が残っている

うまくいった話だけ書くと嘘になるので、残っている課題を出します。
課題① 埋まらない欄が2つある。
哲学モデルの6つの見出しのうち、「美意識」と「却下パターン」だけが、いつまで経っても空欄のままです。今も空です。
原因は分かっています。蒸留の材料が行動ログ(コミット、決定、成果物)だからです。行動ログに残るのはやったことだけで、嫌って避けたことは痕跡を残しません。
「この書き方は品がないから使わない」という判断は、使わなかったという事実しか残らないので、ログの上では存在しないものと区別がつきません。却下パターンが最も人格を表すのに、それが最も記録されにくい。これは構造的な問題です。
課題② 一次体験は原理的に入らない。
上の差し戻しの通りです。しかも厄介なのは、AIが「実体験を具体的に書く」という指示を守ろうとして、体験していない場面を具体的に書いてくることです。仕様に忠実であろうとするほど、捏造に近づきます。
課題③ 材料が足りない。
決定ログは今8件しかありません。8件から蒸留した選好は、正直まだ人格と呼べる密度ではありません。
じゃあ、どう解消するか
現時点で打とうと思っている手を、そのまま書きます。
①に対して: 決定ログは既に rejected を持っているので、器はあります。足りないのは却下の理由です。「何を却下したか」だけでなく「なぜ却下したか」を必須項目にして、却下だけを蒸留対象にする経路を分けます。避けたことを能動的に記録しないと、永久に空欄のままなので。
②に対して: 一次体験はAIに書かせず、人間が供給する側に回るしかないと思っています。ただ全部を人間が書くと元も子もないので、確信が持てない体験談には要事実確認のフラグを立てさせ、人間が確認するまで公開候補に上げない関門を作りました。これは既に動いています。AIに嘘をつかせないのではなく、嘘が外に出る手前で止めるという発想です。
③に対して: 材料の供給源を増やします。今は僕の判断しか入っていませんが、社内のSlackの技術議論や、他メンバーの実装判断も素材になるはずです。ここは属人化のリスク対策でもあって、供給源が僕1人だと、僕が書かない期間に全部止まります。
正直、①がうまくいく確信はまだありません。「なぜ却下したか」を毎回書かせると、たぶん面倒で誰も書かなくなります。運用に頼った時点で負けなので、そこをどう構造で埋めるかがまだ解けていません。
解けたらまた書きます。
よくある質問(と僕の答え)
Q. ペルソナ設計はもう不要ということですか?
消費者の解像度を上げる目的では、割に合わなくなったと考えています。解像度を上げてから作るという順序は、作るのが高かった時代の前提だからです。ただしペルソナ設計という能力そのもの(人間の判断の癖を、他人が再現できる形に書き下す能力)は有効で、向ける先を生産者側に変えると機能します。捨てるのは成果物であって、能力ではありません。
Q. AIに人格を注入するのと、ユーザーのペルソナを作るのは同じことですか?
全く別物です。共有しているのは「ペルソナ」という単語だけで、対象も目的も読み手も逆です。前者は生産者を実行可能な形に複製する作業、後者は消費者を理解する作業です。対称に見えるのは言葉のせいで、実際は方向が反転しています。この混同が一番危険で、混ざると「ペルソナのAI活用」という一番つまらない結論に着地します。
Q. 思考回路をRAG化するのに、何から書き始めればいいですか?
決定ログからです。ある場面で何を選び、何を却下したかを、理由つきで残す。属性や信条を先に書こうとすると、必ず理想論になります。「顧客第一」みたいなものが出てきて、何の役にも立ちません。選択と却下という事実を先に貯めて、蒸留は後からLLMにやらせる。この順序を逆にすると、たぶん失敗します。
今日は、自分が10年やってきた仕事を否定してから、その能力を逆向きに使った話をしてみました。
ちなみに一番こたえたのは、哲学モデルの「美意識」の欄が空だったことです。
自分には美意識がある方だと思って生きてきたのですが、行動ログから蒸留すると何も出てこない。つまり僕の美意識とやらは、これまで一度も判断として実行されていなかった可能性があります。
壁に貼られたまま検証されなかったペルソナと、同じことをやっていたわけです…。
以上です。